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Also Sprach Mkimpo Kid

1998年05月11日(月) What Day Today?


1998年05月12日(火) What Day Today?

 今日はわけあって久しぶりにHANBoard「ムキンポさんには、李在一さんを差別する日本人を批判する資格はありません。」という投稿を読み返してみた。米津篤八さんはすごいねえ。僕の「最後の返答」と題したそれへの反論は、今、読み返すと米津さんに完全に負けてる。

 
#追記:上記の記事はその後のHANBoardのサーヴァ移転に伴い、2001年10月6日現在、かなり文字化けしている。


1998年05月13日(水) What Day Today?

 私はこの国のシステム疲労が、政治・経済・学校・家庭を腐敗させ、汚職、少年犯罪、児童虐待などを生み出しているのではないかと考えている。この国のシステムは憲法と日米安全保障条約というふたつの神の呪縛によって、様々な矛盾と欺瞞を抱え込まざるを得なくなり、欺瞞を隠すために戦後民主主義、平和、正義、人権、愛国などの仮面を被ってしまったのである。(柳美里『仮面の国』p.238)

 最近、いろいろな掲示板や会議室でさまざまな人と議論していて「責任」という言葉について考える機会が多かった。たとえば上に引用したテクストで柳美里は「憲法と日米安全保障条約というふたつの神の呪縛」について語っている。リベラル派の主張する「非武装中立」や「常時駐留なき安保」にはたして現実性はあるのか? それは単なる観念論(欺瞞)ではないのか?
 僕は防衛問題について真剣に考えたことは今までに1度もない。インドが核実験を強行すれば「反対」を叫ぶし(今回、日記には書かなかったが)、湾岸危機に際しても「日本は血や汗はおろか1円の金も出すべきではない」と主張した。これらは僕の正義感や美意識に基づくものではあるが、総合的な安全保障ヴィジョンに基づいての発言ではない。これらの発言は無責任だろうか?
 確かに国政に関わるものの発言としてみれば無責任の謗りを受けるかもしれない。だが僕はムキンポ小僧だ。ムキンポ小僧の言論にそのような責任感が必要だろうか?
 responsibility とは何かに応答する(respondere)ことである。能動的というより、受動的な側面が強いということだ。責任は主体の意思とは無関係に一方的に負わされるものでもある。たとえば民事裁判を考えてみよう。裁判官により、「被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。この判決は、仮に執行することができる」との判決が出る。被告がその債務に責任を感じていようといまいと、国家権力による強制執行により建物の明け渡しは可能となる。これには被告の内面意思は直接関係がない。
 街を歩いていて頭上から物体が落下してくる。打ち所が悪ければ死ぬかもしれない。交差点でクルマにはねられる。三角関係のもつれから殴られる。割合はともかく、周囲への不注意や人間関係への繊細性の欠如という過失がないとは言い切れないだろう。これも一種の自己責任である。
 個人が国に対して、どこまで責任を感じる必要があるのだろうか? 僕は個人としては法令を遵守し、納税義務さえ果たしていれば、あとは誰からも文句を言われる筋合いはないと考える。ちゃらんぽらんに生きていようと、愛国心に燃えて生きていようと、いずれ何らかの形で責任はとらされる。


1998年05月14日(木) What Day Today?


1998年05月15日(金) What Day Today?

LOFT/PLUS ONE
Schedule
98年5月15(金)
V&R「流れ者図鑑」公開記念イベント
「明日の事なんか、知るか!」
〜不倫の仕方、教えます(奥さんの丸め込み方講座)〜
【出演】平野勝之(映画監督)
 【Guest】高橋源一郎(作家)、他

1998年05月16日(土) What Day Today?

 昨日のLOFT/PLUS ONEのイヴェントはちょっとカルチャー・ショックだった。おしっこ飲んで、うんち食べて楽しいのかなあ。ホモでもないのに男の人のおちんちんをフェラチオしたり。
 平野勝之監督の『流れ者図鑑』BOX東中野で今日からレイト・ロード・ショウ公開中。高橋源ちゃんの言葉によるとこんな映画。

監督と女優はお互いにカメラを持ち、撮り合いながら、話し、話しかけ、セックスし、憎み、叫び、進んでゆく。

1998年05月17日(日) What Day Today?


1998年05月18日(月) What Day Today?


1998年05月19日(火) What Day Today?


1998年05月20日(水) What Day Today?

 BOX東中野『A』を観た。フリーのTVディレクター森達也が、家庭用ディジタル・カメラを手に、上九一色村のサティアン群、青山総本部などオウム真理教の各施設をめぐり、広報部副部長荒木浩を追いかけて撮影したドキュメンタリーだ。
 質素な食事、ゴキブリの這いまわる道場、北野井子より生意気そうな麻原彰晃の娘、メディアの激しい取材攻勢、警察の横暴、近隣住民とのやりとり、28歳で未だ童貞の荒木浩の童顔・・・・・・
 オウム信者は皆、誠実で生真面目そうに見えた。大東亜戦争の泥沼にはまり込んでいった当時の日本もあるいはこんな具合だったのだろうか?



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