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Also Sprach Mkimpo Kid

1998年01月01日(木)

Mkimpo Kid wishes its readers a Happy New Year !


 世間の同調圧力に屈しない自由な生き方をしよう。
 まさか僕の日記の読者のなかには、大晦日に「紅白歌合戦」を見た人はいないだろうが、年寄りはともかく、若い人のなかにも、あれを見て、未だに楽しいと感じる人が大勢いるというのが信じられない。
 僕は初詣だってもう何年も行ってない。(今年は親孝行で神社までは行ったが、お神籤だけ引いて、特にお参りめいたことはしなかった)。いろいろな意味で興味はあるので、普段から神社・仏閣・教会・モスク等に行くことはあるが、対人関係などで特に失礼なことがない限り、原則として僕は礼拝という行為はしない。一応、仏教徒のつもりだが、形式だけにせよ、神社で柏手を打つ気には到底なれない。
 初詣という慣習自体を否定するつもりはまったくないが、なんでみんなで打ち揃って、真夜中に何時間も列をつくって、参拝しなくちゃならないのかね。だいたい日本人は列をつくるのが異常に好きだ。みんなで列をつくって並ぶこと自体が目的としか思えない。
 ナイキのシューズにせよ、たまごっちにせよ、本当に自分の価値観で判断して行動しているのか?


1998年01月02日(金)

 正月早々、小林よしのり 『新・ゴーマニズム宣言 C 』 (小学館)というろくでもない本を読んだ。

ごーまんかまして よかですか?
最も尊い覚悟は 「公」のために 誇りを持って 死ぬことである
人々の「公共性」の 最大範囲は やはり
「世界のために」 ではなくて 「国のために」だろう


むきんぽかまして よかですか?
最も賢い選択は 「私」のために 今を楽しく 生きることである
人々の「公共性」の 最大範囲は やはり
「共同体のために」 ではなくて 「社会のために」だろう


1998年01月03日(土)

 総務庁は2日までに、地球温暖化防止や渋滞対策の一環として、広く国民に通勤・通学などでの自転車利用を促す方針を決め、促進のための諸施策を98年度から積極的に検討することになった。(読売新聞 「自転車乗ろう」と総務庁が呼びかけ

 都市部の渋滞解消に取り組んでいる建設省は、マイカーから路線バスへ住民の“足”の転換を進めるため、1998年度から路線バスの利用環境を改善する方針を決めた。(朝日新聞

 公共交通機関の未発達な村落部では、クルマがなければ、現実的に文化的な生活は営めないだろうから、1家に1台か1人に1台かは別として、クルマはどうしても必要だろう。しかし都市部で生活している者のなかで、ビジネス以外で、クルマが本当に必要な者がどれだけいるのか?
 僕は昨年春の交通事故以来、職住同一にしたので、通勤のための交通機関は、現在はエレヴェイタしか使っていないが、以前、早稲田に住んでいたときには、毎日、自転車を利用していた。自転車は運動になるから健康的だし、維持費や燃料費もかからないから経済的だ。
 総務庁交通安全対策室によれば、目的地までの交通手段として、環境への配慮から、自転車を利用している人の割合は、ヨーロッパで20%〜40%あるのに対し、日本では全国平均で約10%に過ぎない(読売新聞)。
 自動車税は総排気量3.000cc超の自家用自動車に対する税率を今の3倍にしろ。
 景気が悪くて、新車販売台数が伸びない、などといつまでも後ろ向きな文句ばかり並べてないで、これで排気ガスの量が減り、空気がきれいになって、ようやく日本も住みやすくなる、と思って喜べ。


1998年01月04日(日)

「結婚しても必ずしも子供を持つ必要はない」との考えについて、「賛成」と答えた人は19.9%で、「どちらかといえば賛成」と合わせると4割を超えた。 内訳は、女性が45.9%、男性が38.7%で、特に20歳代の女性は64.7%に上った。これに対し、「反対」 と答えた人は、「どちらかと言えば反対」を含め51.3%で、前回より9.6ポイント減少した。(読売新聞 結婚後も子供いらない、4割超…総理府調査

 僕は結婚して、すでに5年だが、未だに子供はいない。親には悪いが、だからどうした? という感じだ。
 将来はヴィエトナム人の養子でももらおうかな。ヴィエトナムってまだ行ったことないんだけど、なんとなく憧れるんだよね。これも一種の「オリエンタリズム」かもしれないけどさ。
 子供を持つことの意味について深く考えたい人はここをどうぞ。


 新しい年になったので、今日から表紙の文章を変えた。
 金太郎飴について詳しく知りたい人はこちら(日本語)こちら(英語)

(thanks to 金太郎のふる里)  


1998年01月05日(月)

 僕はサッカーのことは、全然、知らないんだけど、昨日の朝日新聞・第2社会「現代奇人伝3 中田英寿」によれば、なぜ「君が代」を歌わないのか、とインタヴューで訊かれて、中田は「国歌、ダサイですね。気分が落ちていくでしょ。戦う前に歌う歌じゃない」と答えたんだって。またこんなことも語ったらしい。
 「周りにあわせるような人たちがたくさんいるから、成長しないと思う。自分の意思をもっとはっきりと伝えないといけない。日本の国民性の流されちゃう部分、怖いというか何で流される必要があるのか、よく分からない」
 中田の顔は僕はどうにも好きになれないんだけど、なかなかいいこと言うじゃん。こういう男が今、人気があるってことは、日本も少しはいい方向に向かっているのかな?


1998年01月06日(火)

 「東京ナイーヴ(Tokyo Naive)」というサイトがある。5分で全部読めちゃうから、1度訪問してみてね。


 ところで昨日からブラウザ(Netscape Communicator)の設定で、Java と Java Script の機能をはずした。なんか最近、意味もなくやたらとうるさいページが多いんだよね。前に画像の自動読み込み機能もはずしちゃってるし、これでますます快適だ。ついでに自分のつくったページからも、ホームページ以外は、背景画像をはずした。でもカウンタが画像式だから、皆さんは画像の自動読み込み機能をはずさないようにしましょう。万一、はずしてる人は訪問のたびに、なるべく画像ボタンを押してね。


1998年01月07日(水)

 MSN News & Journal「日本のマイノリティーよ、カッコよくなれ! 永田徹 1997年11月30日」はなかなか共感できるコラムである。これが HANBoard での最近の論争の原因をつくった。


 日本の金融クライシスの更なる深刻化を待ち望んでいる一群の人びとがいるという。政治改革論議のとき以来、惚け始めた田原総一郎が、今日、ある講演会で語っていた。オフレコとか言っていたが、公の席で話しておいて、オフレコなどあり得ないし、新聞や週刊誌にも似たような記事は書かれているから、単に話を盛り上げるためのレトリックだろう。それはともかく、その一群の人びとというのは、自由民主党の梶山静六たちと自由党の小沢一郎たちの一派だ。日経平均が1万5千円を大きく割り込むような事態が続けば、橋本龍太郎政権は長くはもたない。いよいよ保保派の出番到来というわけである(2月とか3月とか言っていた)。
 それとともに最近、金融ビッグバンの先送りを主張する意見が目立ち始めている。今やビッグバンを待望しているのは2銀行1證券(東京三菱・住友・野村)とアメリカのお先棒担ぎをしている一部のバカなエコノミストたちだけである。グローバル・スタンダードはアメリカン・スタンダードの仮装に過ぎず、自由主義経済は弱肉強食経済の言い換えに過ぎない。日本人は元来、投機は好まず、勤勉をよしとする謹厳実直の民族である。ヨーロッパを見よ。EUはそのほとんどが社民政党が政権の中枢を担い、産業・文化の保護育成や平等・福祉を大切にしている。日本も民族の自主性を発揮して、アングロ・サクソン・ユダヤ資本と対峙せよ。アメリカの先鋭化する2極化構造、そのなかで貧窮化する中産階級の悲惨な生活ぶりを見よ。日本でバブル経済の崩壊により傷ついたのは、金融・不動産・建設業界や、当時、マネー・ゲームに狂奔した一部の金持ち連中に過ぎない。一般の真面目な「国民」大衆はほとんど深傷を負っていない。しかしビッグバンは、即ち自己責任原則の貫徹ということで、これからは銀行が倒産しても、政府は一切面倒をみないという宣言である。ビッグバンの到来はジャングルの 掟が全面化するということだ。あなたたちひ弱な「国民」大衆ははたして厳しいジャングルのなかで生き延びることができるのか?
 この2つは(僕が少し味つけしてあるが)2つとも田原が講演会のなかで語っていたことである。そして10兆円「改革・発展国債」の梶山は、今やビッグバンに反対し、「普通の国」の小沢と組んで、財政再建と行革の公約で身動きのとれなくなった「橋龍」火だるま政権に代わり、沈みゆく日本の起死回生を図るという。
 なんかこの話おかしくないか? ビッグバンは投機だからダメで、平等・福祉が大事というなら、梶山+小沢でなく、菅直人+加藤紘一の出番じゃないのか? 日本人は元来、投機を潔しとせず、勤勉をその美徳としてきた、というのなら、かつてのあの激しいバブルの発生は何だったんだ? あれは大蔵省と一部の金融機関が無知な「国民」大衆を洗脳して、一方的に押しつけた「カルト資本主義」だったのか? 「anan」や「Hanako」はまったくそれと無関係だったのか? 第2次大戦を反省しなかった「国民」大衆は、バブルの発生と崩壊の責任をも悪しき指導層にだけ押しつけ、善良なる被害者としてだけふるまっていればいいのか? そもそもビッグバン=投機で、日本人はギャンブルは嫌いだから「ビッグバン反対」ですむような単純な話だったら、アメリカの金融機関が1.200兆円の「国民」金融資産を目がけて大挙して押し寄せて来たって、自主性をもつ日本の「国民」大衆は一切そこに「投機」しなければいいだけの話ではないのか。
 田原総一郎といえば、かつては名作「あらかじめ失われた恋人たちよ」を清水邦夫とともに監督したのにね。



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