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酒鬼薔薇聖斗事件を巡る一考察(2)


 村上龍が「文藝春秋 九月特別号」に寄せた「神戸小6惨殺事件 寂しい国の殺人」は僕が今回の事件に関し読んだ論考のなかで最も事件の深層に迫るものであった。
 少し長くなるが、部分的に引用する。

 何か強烈な事件を契機にして思考を停止する人はいつの時代にもいる。ヒステリックに排除と制裁を叫んでいる人々は、この十四歳が恐いのだと思う。この十四歳が露わにしてきたことが理解を超えていて、それが恐いのだろう。近代化の途上という「のどかで貧しい時代」を生きてきた人々の想像力には限界があるし、彼らは近代化の労苦を背負った人々でもあるので、わたしは「排除・制裁派」を批判しない。彼らはその労苦が報われなかったという挫折感によって「世間」と同化してしまった。この国の「世間」は原則よりも、ときには法律よりも強い。わたしはそういう「世間」とはできるだけ関わりを持ちたくない。
  彼らを一括りにすることは危険だが、共通しているのは、日本国民の中心的感情が「悲しみ」から「寂しさ」に移行しているのに気づいていないことだと思う。演歌や歌謡曲は、集団の最大公約数的な悲しみが消えたときに、存在理由を失った。

 現代を被う寂しさは、過去のどの時代にも存在しなかった。近代化以前には、近代化達成による喪失感などというものがあるわけがないから、わたしたちは、現代の問題を、過去に学ぶことができないということになる。今の子どもたちが抱いているような寂しさを持って生きた日本人はこれまで有史以来存在しない。それなのに、相変わらず過去に学ぼうとしているのは主に偏差値の低い中高年の男達だ。織田信長だろうが坂本龍馬だろうが吉田茂だろうが、彼らが今生きていたとしても、例えば帰国子女の悩みにも答えることができない。それなのに、信じられないことだが、「織田信長に学ぶ危機管理術」というような特集を組む雑誌が未だにあとを絶たない。だがバカな中高年の男たちのことはもう放っておくしかない。自分のこれまでの人生を否定することになるので、よりよい集団に属するという価値観を彼らは死ぬまで変えないだろうし、退行と反動化の中枢を担っていくはずだ。

 「これからの日本をどう変えていけばいいのか」などと言っている人をわたしは信用しない。そんなたわけたことを言う前にまずお前が変われ、といつも思う。システムを変えることで個人が変わる時代は終わっている。

 何とも言ってることがかっこいいね。最近の村上龍は、その小説の才能には嫉妬しながらも、ちょっと危険すぎてついていけない、という感じをもっていたんだが、今回のこの論考には頭が下がった。
 僕の場合、『わたしは「排除・制裁派」を批判しない』なんて悠長に構えている余裕はないんだが、それはなぜだろうと考えてみると、村上龍はすでに実力で自分の生き方を確立した人間であるのに対し、僕の方はまだ中途半端な生き方しかできていない人間だ、ということになるのかもしれない。だからこそ声高く、今までさんざん機会あるごとに、「排除・制裁派」を批判し、そのことによって自分の立場を模索してきたのかもしれない。
 僕としては、村上龍が「排除・制裁派」に関して「主に偏差値の低い中高年の男達」にしか言及していないのに対し、そこに「主に言語能力の低いパソコン青少年たち」もつけ加えたい。
 「主に偏差値の低い中高年の男達」が「織田信長に学ぶ危機管理術」を愛読しているとするなら、「主に言語能力の低いパソコン青少年たち」は一体何を愛読しているのか? やはり「ゴーマニズム宣言」かね?
 どちらにしろ彼らが「民衆の声」を代弁し、「世間」と同化し、「演歌や歌謡曲(あるいは長渕剛や小室哲哉?)」の音楽と「ゴルフ・パチンコ・たまごっち」の豊かな趣味で充実した時を過ごし、共同体の1員として輝く「個性」を磨き、「普通の国」を目指すナショナリストとして(まあそうじゃない人もいるだろうけど)、この「金太郎飴」の「野菜の国」を、「国際化」の渦のなかでどっちの方向に導こうとしているのか、じっくりと見守っていきたい。


1997年8月9日(土) 


酒鬼薔薇聖斗事件を巡る一考察(1)


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