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Also Sprach Mkimpo Kid


1997年07月11日(金)

 何日かぶりで開かれた党・新進党のホームページを覗いてみた。「新進党議員のホームページへのリンク」コーナー・トップには未だに「普通の国」に異議を唱え、新進党を離党した、国家アイデンティティーの懲りない探求者「愛知和男のホームページ」へのリンクが張ってある。さすがにニコニコ閻魔・小沢一郎は太っ腹だね。
 国民の声は子犬のゆりこちゃん掲示板で24時間受け付けてるぞ。


1997年07月12日(土)

 朝日新聞が第3社会面に『ホームページ削除 ネットに虚偽情報 「朝日が圧力」は事実無根』として、このところのネット上での一連の「言論殺死の朝日新聞」バッシングに対する小さな反論記事を載せている。「なお、この件の説明はアサヒ・コムでも掲載しています」とあるが、探し方が悪いのか、なかなか見つからない。
 ようやく「インターネット上での情報について asahi.com ご利用のみなさまに」というのを見つけたが、こんな官僚主義的もの言いじゃ説明になってないぞ。


1997年07月13日(日

 「週刊新潮」編集人・松田宏が朝、フジテレビの「報道2001」に出演していた。
 「被害者」の写真だけが一方的に、連日、各メディアに暴力的なまでに露出している、「加害者」の写真も出さなくては、両者間のバランスがとれない、という意味のことを語っていた。
 どこかの誰かが雨の日にクルマを走らせていて「たまたま」泥水を撥ねあげた。近くを通りかかった2人組の少年のうちの一人が「運悪く」服を汚してしまった。責任ある目撃者としてこのような不公平は放置できない。もう一人の少年にはおれが平等のために泥水をかけてやる。そう言っているようなものではないのか?
 そもそも「被害者」の写真を繰り返しメディアに露出する必要があったのかどうか、第4の権力を行使するものとして、そこにまず検討を加えるのが順番ではないのか?


1997年07月14日(月) le jour de ma naissance

 INFOSEEKで「酒鬼薔薇」を検索すると、昨日までは僕のページがトップだったけど、「神戸市須磨区小学生殺人事件関連リンク集」というのが新たに生まれてる。本当に「言論殺死の朝日新聞」の圧力で「酒鬼薔薇」関連ページがつぶされてるのかどうか、僕には確認する方法がないけれど、こいつらの情熱は一体どこから生まれてくるの? もちろんこいつらだって、「朝日新聞」=「言論殺死」という等号は、いろいろ書いてはいるけれど、この騒動の始まる前からすでに決まっていたことなんだろう。要するに「進歩派」「人権派」「良識派」がもとから嫌いなわけなんだろう。それにしても朝日新聞はいつまでもお上品ぶってないで、こういった問題について、もっとオープンに考えを表明してもらいたいね。「無視する」というのもひとつの美学かもしれないけど、それではあまりにも傲慢だ。


1997年07月15日(火)

 例年のことだけど、このクソ暑いなかを何でみんなスーツにネクタイして歩いているのかね。見てるとこっちまで暑苦しくなる。僕なんか子供の頃からずっと夏はTシャツに短パンで過ごしてるけど、建物のなかとか入ると、寒くて身体がおかしくなるぜ。「地球に優しい」とか「環境問題」とか言ってるくせに、どこに行ってもエアコンばんばん効かして、なかでぶるぶる震えてるんだから、みんな頭がおかしいんじゃないのか。この前、どこかの新聞がOLにアンケートとったら、夏にスーツの下に半袖シャツ着ている男はダサイ、とかいう結果が出たらしいけど、こいつら頭がノータリンだね。羽田孜は今でも省エネ・ルックやってるという噂もあるが、本当だとしたら、そのことだけで尊敬するね。ネクタイにスーツというのはヨーロッパみたいに乾燥した地域の服装であって、日本みたいに湿潤な地域では、アロハとかバティックみたいなのがいいんじゃないか?


1997年07月16日(水)

 灰谷健次郎が新潮社に対し遂に全著作の版権引き揚げを通知したらしいね。讀賣新聞によれば、灰谷の「収入の三分の二が新潮社の書物」からというんだから、これは相当の覚悟だ。明日あたり灰谷の本の特集コーナーが各書店で設けられるんじゃないか?

 このところ事務所移転などがあって、立花隆が「同時代を撃つ」「少年の顔写真公開を一方的に批判した言論人たちは決定的に間違っている!(97/07/10)」を書いてたのを見過ごしてたね。灰谷を名指しのうえ、『世の大勢は、「フォーカス」を批判し、書店が販売を中止したことを支持しているようだ』なんて書いているけど、これはまったく逆なんじゃないか? 「フォーカス」批判をしているのはいわゆる「進歩派」「人権派」「良識派」の連中だけで、「世の大勢」(「週刊新潮」いうところの「民衆」)は「フォーカス」支持にまわっている、というのが僕の印象だ。少数派についているつもりで、僕もこれまで発言してきた。
 大体、立花は『土師淳君殺人事件に残された「二つの声明文」の謎を解く(97/06/12)』で「結局、私は、殺人の実行行為をした粗暴で知性が低い人物と、犯行声明文を書いたのは別の人物ではないかと思っている」なんて書いてたんだから、そのことに対して、まず一言、自分の推理の稚拙さを反省するのが筋なんじゃないか。何か発言するとしたら、それからだろう。
 『人には違法な言論行為をする自由がある』『「大衆迎合的行動原則では「ジャーナリストの矜持」を守れない』というのは本当だとしても、だとしたらなおさら、灰谷にだって「言論の自由」はあるってもんだ。
 僕は灰谷は決して好きなタイプじゃないけど(むしろ立花の方が好き)、今回の立花よりか筋が通ってる。


1997年07月17日(木)

 「大住良太のホームページ」から『ひどすぎるぞ、日本のマスコミ!「神戸小学生殺害事件」報道の“犯罪性”』を読んだ。山登りする人って爽やかでいいね。

               ☆

 今日は芥川賞・直木賞の発表日。芥川賞をとるつもりで小説を書いてた頃が懐かしいね。それにしても「引っ込み思案の目立ちたがり屋」にはインターネットはもってこいだ。


1997年07月18日(金)

 昨日の産経新聞猪瀬直樹の次のようなコメントが掲載されている。

  『フォーカス』の報道姿勢は人権に対する配慮もなければ、法に対決する覚悟もない中途半端なものだった。しかし、今回の報道で抗議すべき相手は『フォーカス』編集部であって、新潮社全体ではない。(中略)灰谷さんが『フォーカス』の報道に反発するのは自由だが、『フォーカス』が気に入らないからといって、新潮社を許さないというのは、問題を過剰に拡大しすぎていると思う。

 灰谷を支持する、と言ってみたところで、「新潮社の本は買わない・読まない」と言い切るほどの思想も覚悟もない僕としては、猪瀬の言葉に対して適切な反論ができない。

 「週刊新潮」創刊以来一貫して人権侵害を続けているということは、新潮社自体が企業方針としてそういうことを続けさせているとしか考えられない。だいたい、企業が部門の犯した罪の責任をとらなくてよいと考えること自体非常識で、言論機関だから許されるというのは言論人の傲慢と私は考える。大住良太

 僕としてはここまでは断言できない。
 せめて次のように言いたい。

 別段、「抗議すべき相手」が、多少、違っていたっていいじゃないか。たとえドン・キホーテになったって、ひとつの行動を起こすことには意味がある。

 僕は何も「抗議すべき相手違う」という猪瀬の論理を肯定しているわけではない。灰谷は「抗議すべき相手」を「正しく」捉えていると思う。ただそれなら灰谷は新潮社の出版物はもうこれから購入しないというのか、あるいは灰谷を支持すると言うときに、支持した人間は新潮社に対してどういう態度をとればよいのか、まだよく掴みきれていない。
 ところで夕方、紀伊國屋書店に行ったら、「版権引き揚げ記念 灰谷健次郎まるごと百冊」は設けられていなかったが、「小説新潮臨時増刊 灰谷健次郎まるごと一冊」はちゃんと売られていた。

 猪瀬直樹のmiscellaneous/掲示板はここだ。


1997年07月19日(土)

 朝日新聞に酒鬼薔薇聖斗の〈「犯行メモ」の抜粋〉なるものが載っている。〈愛する「バモイドオキ神」様へ〉で始まるこの日記、「聖なる実験」とか聖なる儀式「アングリ」とか、なんとも理解しがたいものがある。全文を読んでみたい。

               ☆

 「神戸で頑張るフリーライター菊池馨」「インターネット風見鶏 第2号」というのを覗いてみた。なかなかの読み応えだね。「電子陪審・酒鬼薔薇聖斗事件」なんてのもあって、不謹慎なんだか真面目なんだかよくわからないけど、その辺は僕も人ごとではない。


1997年07月20日(日)

 朝、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」で小田(舌なめずり)晋が酒鬼薔薇「犯行メモ」について鬼の首をとったように嬉しそうに話していた。「これで〈積年の〉論争に遂に終止符が打たれた。人間には一部に同情心とか他人に共感する力をもたない人たちがいて、このことが、これではっきりとした」(かなりうろ覚え)などと恍惚として語っていた。それはお前だろ。


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