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EIN BILDUNGSROMAN

(予告篇)


 失われたわけではなく、それは初めから不在としてのみ僕の心に忍び込んできたのだったし、そもそもの初めからそれは僕の心の満たされぬ部位に満たされぬ思いとして空洞を穿ち、ぽっかりと空いた虚ろなうろがすなわち僕を暗い闇から揺り動かして僕にこのような思いを吐かせ、だからこそ僕は〈彼女〉という名の永遠の神話を繰り返し語りつづけるシーシュポスの連環のなかへと宙吊りされて、いつまでも言葉が語り継ぐ物語の領域へと囲われていき、あるいはそのような身ぶりのなかで自らをそのような場所へと導いていきながら、〈彼女〉という誰もが一度は見たことのある物語の王国への扉の鍵を───開けるのだ。


 ねえ、遊びに行かない? と彼女は言う。ねえ、お腹がすいたわ、とも彼女は言うだろう。その気にさえなれば、彼女は何だって言うことができた。たとえば、動物園のゴリラの檻はシマウマの檻の隣りにあるのよ、私は元気なアヒルです、カレンダを捲るたびコンピュータの気持ちが判るんです、などなど。彼女はまた詩を書いたり編み物をしたりアイス・リンクに出かけることだってできるのだった。
 彼女の前にはすべての可能性は開かれていた。彼女の前にはすべての不可能性さえ閉ざされてはいなかった。彼女はあらゆる意味において〈完璧〉だった。
 たとえば、嘘つきね、と彼女は言う。そのとき僕は心の底から〈嘘つき〉になれるのだった。あるいは、嘘つきってどういう意味? と訊ね返すことができるだろう。
 彼女の前にいると、何でもかでもできそうな気になれた。だから僕は〈嘘つき〉にだってなれるのだった。あるいはそのために、嘘をつくことだってしてみせるだろう。
 たとえば、彼女はあらゆる瞬間に嘘をついた。彼女の存在そのものが嘘っぽかった。
 あるいは僕は彼女をどのようにも想像することができるのだった。彼女は小指が一本足りなかったし双子で中国娘で絵描きの卵でヴェジタリアンだった。彼女は石川舞子ちゃんという名前だった。彼女は───
 僕たちは一九八×年五月のある晴れた日曜日の朝、忽然としてどこかで出逢った。
 どこか、というのは多分、パリ、そうでなければ、ロンドンかニュー・ヨークなのだった。あるいはそこは上海だった。
 だから僕は、儂早(ノンゾー)! と言った。
 彼女は表演隊に所属していて、たとえば中国でポカリスエットを初めて飲んだのが彼女なのだ。 彼女はアルカリ質の躰をしていて、僕に向かってこう言った。
 Everyday I am alkalifying.
 彼女の好物はリトマス苔とホウレンソウの油炒めで、彼女のPHはいつでもだいたい八から九の間だった。でもセックスの後にはたまに十四になることもあるのだった。そんなときには青い顔をしてサラサーテのツィゴイネルヴァイゼンを聴くのだった。だから僕はヴァイオリンの練習を毎日した。
 僕たちは秋にはキノコ狩りに信州の山奥まで出かけたし、冬にはお汁粉を食べに青森のお婆ちゃんの家まで遊びに行った。春には喧嘩をして毎日箒で戦争をしたし、夏には仲直りをして青山のペット・ショップまでブルドッグの赤ちゃんを貰いに行った。
 君は綺麗だし、可愛いし、魅力的だし、僕は君のことが好きなんだし、何て言うのかな、君のように素敵な女の子が、男たちからちやほやされるのは当然だって思うんだ、と僕は言った。
 あるいは僕はこう言った。
 なんたってペリカン!
 僕たちは、そう、あかるい部屋のなかで、七月のよく晴れ高原の午後の、あるいはきらめく陽光が眩しく光り輝く海辺の午後の───それはいつだったか、遠い微かな夢のような記憶、いつか観たことのある映画のなかで、僕は確かにその部屋を訪れたことがあった筈だ、そこには白いレースのカーテンごしに暖かな溢れるような光が射し込んでいる筈であり、僕は少年時代、書架にある父の蒐めた百科事典や美術全集を繙いて、遠い異国の人びとの生活に思いを馳せた、世界には六千五百の民族と五千ないし八千の言語、約四百種類の文字がある!─── まるで恋人同士のように話し合った。彼女は中国訛りの抜けきらない特徴のある日本語で、子供の頃の春節(チュンジエ)の思い出について語った筈だ。
 それは誰にでもあるありふれた懐かしい少女時代の記憶であり、僕自身、幾度となく反芻してきたセピア色の物語であり、テクストのうえに重ねられたテクストとして、それはつまり、僕の精神の表層を揺動する幼年期が彼女というメディアを通過した軌跡としての新しい textualite ───それを僕は彼女への愛と呼ぶだろう───なのだ。
 だが、〈彼女〉とは一体何者なのか? という問いが発せられなければならない?

a suivre  


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